ni_ka(詩人/アーティスト)
市川春子『宝石の国』全13巻〈講談社アフタヌーンKC〉
まず、アーティストでもある私ni_kaが惹かれてしまったのが、装丁の美しさでした。一枚の絵画のような世界観のイラストに、光の加減により、色彩や輝きさえも変化するホログラムが散りばめられたジュエルの扉。市川さんご自身が、紙の質感にまでこだわり、装丁デザインも手がけられたそうで、紙の本というマテリアルそのものも市川さんご自身の作品なのだなぁ、と惚れぼれしながら『宝石の国』13巻全部並べて眺め続けました。美術館で鑑賞しているような豊かな経験です。
物語は、思春期の青さのような感覚がひりひりする点と、市川さん独自のSF的観点がはちゃめちゃに面白かったです。画力や構成の素晴らしさも含め、物語の完成度が高く、世界観の独自性や展開も素晴らしい作品だと感動しました。
世界の痛みを除去すべく、「すべての人類は消失しなければならない!」とばかりに、すでに『宝石の国』の舞台には1巻から人類はおらず、美しい宝石や鉱物のカラダの、男女なんてジェンダーの概念すら不明な、良い意味で青くさい少女や少年のような存在が、月から訪れる月人らと闘う。『宝石の国』では、市川さんの表現力の巧みさで、清々しさや悲しみだけでなく、美しさと尊ささえも闘いから感じるのです。物理的に硬質なはずの宝石や鉱物たちにも、躍動感やスピード感や柔軟ささえ表現されています。私は、固唾を呑みながら、大事に大事にページをめくりました。素晴らしすぎて読み終わりたくなかったです。
人間が滅びる過程すら描いておらず、人類が滅んだ後の世界から物語がはじまるという大胆さと潔さ。古いタイプの小説読みの方などは「せめて人間が滅亡した過程や苦悩は書いてくれ!」なんて思うかもしれません。
このふりきれたダイナミックさは、無論才能あふれる市川さんだから成しえたことですし、また漫画表現・漫画媒体だからできたことだともしみじみ感じました。「人間がきちんと書けてない!」というダメ出しは、いわゆる文学や文芸評論では「もううんざりよ」というほどに過去に読み聞きしてきた言葉です。そんなものをぶっ飛ばしてしまう、市川春子さんの痛快さに敬意を払います。
人類はずっと戦争や虐殺や他害を繰り返してきました。このままでは人類は、人類のせいで滅びてしまうのだろうな、と考えてしまいます。そして最近も、各国で戦争や虐殺や他害や差別が多発しており、他にも辛いニュースばかりが流されていて、人類の学ばなさに私も幻滅しかけています。「人類はもうダメじゃね?」と。しかし、だからこそ、もはや人類がいないところで展開されている『宝石の国』の深さとやりきれないエレジーを、今こそ私たち人間が真摯に読むべきなのだと確信しています。
坂崎かおる『嘘つき姫』〈河出書房新社〉
愛の告白をします。とても大好きな短編集で、坂崎かおるさんも大好きな作家さんです。照れます。
坂崎さんの“才気”としか申し上げようがない清々しい感性と、社会に垣間見える闇/病みのような空気感と、この社会のどこかに居そうで居なさそうな繊細に描かれた登場人物たちと、時折SF的な魅力が、絶妙な塩梅で交錯している物語たちの集まったご本です。短編集ですので、読者ごとにお気に入りの作品はそれぞれ異なることでしょう。ですが、このご本に掲載されているどの短編にも、余韻・余白、読者が考え物語に入り込む余地があるという一貫した世界観があるのです。そして“あざとさ”が少しも垣間見えない。
摩訶不思議な感覚で、何度も気になる作品を読み直したのですが、紡がれた物語の世界の様子が読む度に違って感じるのです。少しずつ読み手の捉え方がずれてゆくという感覚。
余計なことは描かずに、さっぱりと読者に想像の余地をプレゼントしてくれる粋なバランス感覚。構成力や言葉の運びの洗練。こんな坂崎さんワールドに魅了され尽くしてしまいました。散文でしか醸し出せない小説ならではの技術も一級品で、「あゝ、これこそ散文である小説の素晴らしさそのもの」と感動しました。
ジャンルの話をするのは適切ではないのかもしれませんが、やはりこの坂崎さんの短編集は、“文藝”“文学”の正史に位置付けられるのかなと個人的には考えます。“SF小説で”あるのか、“ジェンダー”が前傾化した主題か否かというようなトピックスは、この『嘘つき姫』の瑕疵に無論なりません。ジェンダーについても深い問いがある作品がありますし、リアルで切実さのあるSF要素も、この『嘘つき姫』の“核”のひとつではあるのです。
このご本は、決しておしつけがましくしない世界観が通底していて、作者さんの坂崎さんの洗練された技術と作家魂にうたれたni_kaなのでありました。素晴らしかったです。
長山靖生『SF少女マンガ全史――昭和黄金期を中心に』〈筑摩選書〉
まず、私ni_kaは、長山靖生さんに、こう言わなければなりません。「このご本を書いてくださってありがとうございます!」と。また、筑摩書房さんにも「よくぞ“あの”筑摩さんがSF少女マンガものをご出版してくださいました!」とお伝えしなければなりません。天晴れでございます。
例えば、私たち世代やもっと若い世代は、私たちが生まれる前から素晴らしい作品を描いていらした大島弓子さん・萩尾望都さん・山岸涼子さんらの偉大さは抽象的に知ってはいても、やはりリアルタイムに彼女たちが読者や世界に与えた新しさや絶大なインパクトなどの時代性の“真髄”はわからないままなのです。このご本は、当然作者の長山さんの漫画観であり、長山さんのSF少女マンガ史観ではありますので、漫画家さんへの評価や扱いも長山さんの趣味判断だとは思います。それでも、こんなにSF少女マンガに情熱を注ぎ、丁寧にその歴史を編纂しようと努め、それを「本」に纏める労力は並大抵のことではなかったはずです。構成の完成度が高く、読みやすくコンパクトであるという点にも非常に感銘をうけました。ゆえに、資料的価値の側面が大きい。ただ、とかく文化史や文化批評などは長々と難解になり、とっつきにくくなりがちです。けれど、SF少女マンガの辿ってきたひとつの道標を知るご本として、大変適切な構成・書き方だと評価しました。
最近、漫画やアニメなどが大好きな海外のお友達から、「どうして日本はこんなに広く漫画分野が盛んで、そのフィールドが深いの? それにジェンダーギャップ指数が低いわりに、女性の小説家や漫画家の先生たちは、次々とタレントが出現し続けて、ずっと活躍できているの?」と言う趣旨の質問をよくされるようになりました。後者の質問に対しては、この長山さんの『SF少女マンガ全史 ――昭和黄金期を中心に』をひとつのアンサーとして提出できるな、と考えています。
楽しみながら勉強できるというのは、まさに本の持つ醍醐味です。私たちよりお姉様やお兄様世代で、萩尾さんや大島さんの初期作からリアルタイムで読んできた方々は違う感想を持たれることでしょう。思春期や少女少年時代にふれた才気あふれる物語は、誰にとっても唯一無二の思いいれが一生続く大切なものだから。
だけれども、日本のSF少女マンガという、ニッチであったジャンルをこうして纏めて資料的に出版してくださったことに、ジェンダーSFとしても大きな意義があることは間違いないでしょう。各時代の少女たち、少年たち、或いは大人たちに、めくるめくワンダーな世界観や、ヴィジュアルや、夢や残酷さを産み出し続けている“SF少女マンガ”の偉大さを伝える大事な一冊です。SF少女マンガは夢を与え続ける永遠のトレジャーなのですから。
宮野由梨香「光瀬龍『百億の昼、千億の夜』の彼方へ」 荒巻義雄・巽孝之編『SF評論入門』所収〈小鳥遊書房〉
宮野由梨香さんは、すでに光瀬龍さんの評伝で、2011年に第6回日本SF評論賞をご受賞されています。その時の光瀬さんの評伝を改めて読んでみましたが、これは宮野さんにしか書けないと誰もがうなるような出来栄えの作品でした。
それから10年以上時が経ち、荒巻義雄さん/巽孝之さん(編)の『SF評論入門』に掲載された宮野さんの作品が今回のノミネート候補です。やはり光瀬龍さんについてお書きになられているのですが、光瀬龍さんにのみ焦点をあてているというよりは、“光瀬龍さんと宮野さん”に関して書かれている作品という印象が前回よりより強くなりました。独特です。
宮野さんの作品からは、光瀬龍さんに対する作家愛と作品愛を強く感じる反面、愛憎混じっているようなある種の執念のようなものすらも感じます。優れた作家や物語は、読者に強い執着をうえつけてしまう、そんな力を持っているものです。そして作家や物語への強い執念は、距離感などに於いてネガティブな面も当然あるのですが、もちろん決して悪いことだけではありません。特に宮野さんのように緻密な評伝を書く上ではポジティブな面が必ずあるはずです。ただ、距離感に於いて、ナイーブな一線を超えてしまうと、たちまち危険性をはらむ可能性ももっているのが、宮野さん節の特徴なのかもしれませんが、一方で危険性とのギリギリな宮野さんの性質が、貴重な評論や評伝を書けるモチベーションであることも確かなのです。
また、宮野さんに関して、「女性SF評論家」とくくってしまうのは失礼にあたるかもしれませんし、適切ではないようにも思います。ただ、やはり評論家もSF評論家も、圧倒的に男性が多いのが現状です。光瀬龍さんという偉大な作家について、宮野さんほど、納得するまでとことんくいさがり、考え続けている真摯な方がどれほどいらっしゃるでしょうか。宮野さんの美点は、「評論家になりたい」「権威が欲しい」「有名になりたい」等が動機ではなく、「何がなんでも、これ(光瀬龍さんと自分のやりとりなど)を書きたい!」という純な動機が書く原動力になっているところではないでしょうか。この作家性は実にかっこいいです。
“フェミニズムSF評論”というよりは、もはや“無二の宮野ワールド評論”と言った方が良いのかもしれませんが、やはり女性の評論家が少ないSF界で、長く、そして願わくば、もう少し幅広い視野を持ち、俯瞰的に評論や評伝を書き続けていただきたいです。単なる私の希望です、生意気申し上げてすみません。個人的に応援しております。
空木春宵『感傷ファンタスマゴリィ』〈東京創元社〉
タイトル、とっても好きだなぁ!
と読み始めたら、「へ? なんだか没入できないタイプの小説だ、困ったよお。」最初に25ページ目ほど『感傷ファンタスマゴリィ』を読んで感じた時の素直な気持ち……。空木さん、誠に申し訳ありませんでした!
この作品の文体や漢字にふられたルビや物語の運びは凝りに凝っていて、拘りや美学がつまっている。だけど、凝りすぎていて、「逆にあざとくない〜? やりすぎでは? 故になんだかお話に入り込めない〜。さて、どうしたものか。」
何というか、空木さんの小説へや、或いは生き様への、美学や信念から発生する世界観の強度がありすぎて、私が空木ワールドから弾かれてしまったような感じだったのでした。さみしぃ……、そんな不肖 詩人/アーティストni_kaなのでございます。
けれど、少し深呼吸をするつもりで、このご本の解説文をお書きになっている高原英理さんの、空木さんの作品に関する文章をまず読んでみることにしました。
すると、なるほど納得! と膝を打ち、『感傷ファンタスマゴリィ』をドキドキしながら読み進めることができたのです。恥を忍んで正直申し上げると、選考会で他の選考委員の方々の空木作品の読み方や評価や意義をお伺いし、それをふまえ、また読み直してみると、不思議なことに前回のドキドキの印象とはまた位相の異なる、現代における大切なジェンダー等のテーマが空木styleの中にきちんとつまっているのです。そもそも、小説にはいりこんで無我夢中で読むやり方もあるけれど、小説と少し距離をとりながら、充分すぎるほど楽しめる読書体験もあるのですから。
ゴシックやヴィジュアル系や魔女など多岐にわたる作家たちの独自の美学。三島由紀夫さんやそれこそ高原英理さんや嶽本野ばらさん、他にも海外作家にも日本作家にも、数えきれないほどいて。“自身にとっての圧倒的な美”や“好きと切り離せない切実さ”がつめこまれた傑作を書き上げた作家は、歴史上に多く存在しています。そして彼らには決まって優れた技術もあるのです。
空木春宵さんがその系譜の物書きであり、しかも物語もジェンダー観なども含め、唸るようなストーリー展開をできる方なのだと学べたことは私にとり大収穫でした。
美学やポリシーに基づいた力強い世界観は、強烈なファンとともに、このstyleにははいりこめないとか読みにくい、という読み手も必ずうまれます(まさに読み始めた時のわたくしです。ごめんなさい空木さん! 何度も謝ります)。けれど、このある種のアクの強い空木さんワールドに夢中になり、救われる読者は必ず存在するのです。だから、空木美学・空木styleで、これからも独特な物語を紡ぎ続けてほしいです。絶対に自分を信じて書き続けていただきたいです。




