福島かずみ(ジェンダーSF研究会会員)
市川春子『宝石の国』全13巻〈講談社アフタヌーンKC〉
人類がとっくの昔に滅び去った後の遥かな未来の地球、僧形の師である「金剛」と少年とも少女ともつかない中性的で美しい鉱物生命体の「宝石」たちは寄宿学校のような集団生活を営んでいた。
平穏な日々を脅かすのは時折宝石たちを攫いに訪れる「月人」との闘いだが、この戦闘のシーンもまるで仏画の「来迎図」のように美しく描かれていて身体が鉱物で出来ている宝石が負傷するシーンも身体が砕け散る描写はあるが流血や内臓破裂等の生々しい表現は一切無い。
主人公は何をやらせても満足に出来ない落ちこぼれの宝石フォスフォフィライト(硬度 三半)
師と周囲の同胞達に自分を認めさせるために努力を重ね、地球の過去と人類の終焉、宝石の出自と機械だった金剛の正体、月人の訪問と戦闘の理由を解明していく。
その経緯で様々な身体のパーツ(腕や頭部や眼球)を失い本来の姿形から異形に変貌し、遂には神にメタモルフォーゼして人類の末裔の全てに救済を与える役割を担い結果としてフォスフォフィライトの抱いた唯一の特別な存在になるという希望は叶ってしまう。
やがて人類とは全く異質の知的生命体が地球上に生まれ、金剛の兄弟だった機械も出現して三者は幸福に共存していたが太陽の終末で地球に滅びが訪れた時、月人が金剛の兄に託した装置でフォスフォフィライトの最後のカケラは地球を脱して新たな星に辿り着く。
フォスフォフィライトの変貌とその最後に抱く望みを人類という哀れで不完全な種族の興亡とその死後の世界を通して描いた傑作です。
空木春宵『感傷ファンタスマゴリィ』〈東京創元社〉
「感傷ファンタスマゴリィ」
19世紀末の欧州は機械産業が世界を圧巻する予感が濃厚に漂う過渡期の中にあった。
その時代の巴里という流行の最先端の都で昔は大人気であった猟奇的な見世物の映写技師だった男の現実は招かれた古城の女主人の策略によって幻想に変貌する、しかしその確かな筈の幻が再び裏返って現実に染み出し始めると反転したネガとポジの浸食は世界の境界を揺るがせた、そしてその原因となったかつての映写技師は彼岸に渡った者達の思いを此岸に生きる人々に繋ぐ存在となったのだろう。
「さよならも言えない」
宇宙への進出によって人類が複数の形状を持つ時代、その複合政府直属の組織で外見による種族間差別撤廃の仕事に就いている社会規範に厳格な中年の女性。
外見を整えることで存在意義が生じるという一般常識を無視する自由奔放な少女。
その二人の邂逅は有り得ない偶然だったが交差した運命の糸は強い共感の絆を育む、やがて周囲からの干渉で無理やりな別離が降りかかるが少女からの影響で自らの仕事に疑問が生じた女性は今までの自分を捨てる生き方を選んだ。
けれど数年後に再開した二人の運命の糸は既に束の間の交差を終えていた、女性は以前の自分を訪仏とさせる少女に戸惑いながらも既に自分達の距離は果てし無く遠ざかり二度と近づく事はないだろうと悟るのが悲し過ぎた。
「4W/Working With Wounded Women」
等価交換は天秤の両方の皿の重さが釣り合っていなければ成り立たない筈なのだが、遥か昔から実際に行われてきたのは富める者が貧者から一方的に搾取するという構図だ。
奴隷や身売りや年期奉公、徒弟制度に身分制度という社会的な縛りで奪われるモノは自由や労働力、金銭に性的奉仕や果ては人としての尊厳と様々。
「冥婚」とは東南アジアの風習として行われる生者と死人の間の結婚だが、この物語の未来世界ではそれを自らの身体的苦痛を赤の他人に肩代わりさせて文字通り傷一つない身体で生きていける上位層と金銭的報酬でそれらを全て引き受ける下層階級の人間の間での左手の薬指に嵌めた指輪型ナノマシンを介しての絶望的な契約の名称としているネーミング・センスはブラックユーモアだとしても笑えない。
結局搾取の図式はいくら科学が発達しようとも永遠に不変かと暗澹たる気持ちになるが、それらに抗う団結した女性達の出現で世界は少しずつでも変貌するのが可能だという希望のある最後に救われた気分だった。
「終景累ケ辻」
“生まれ生まれ生まれ生まれて生の初めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し”
累ヶ淵ではなく累ヶ辻、『辻』とはあちらからの道とこちらからの道とが交わる場所、そこでは人だけで無く『魔』も行き交う。
男からの裏切りの挙句に破滅させられ幽鬼になった女達は無念のあまりに死出の道行を辿れずに迷ってしまう。
その各々の迷路が交わる十字架の上で同胞を見出した女達は労りの繊手を差し伸べる、自らの悲哀をお互いの姿に重ねて。
「ウイッチクラフト≠マレフィキウム」
男性と女性は多分全く別の生物なので決してお互いを理解し合えない存在なのでは? と日常生活上でも時々絶望したりします。
しかし21世紀も四分の一を超えた現在、前世紀に自らの父や家族や夫の考え方や行動に失望した女性達が母となってから自分の息子達に同様の過ちを繰り返させないとために施した教育の成果を近年あちこちで見かけて、もしかしたら世界は少しづつでも良い方向に近づいているのではと思わないでも無いのです。
《女は男よりも劣った存在、悪いのは全て愚かな女》
もうそろそろこのスローガンは下す時期だと思うのですが、今年もジェンダー・ギャップ指数が世界148カ国中で118位(G7中では最下位)という著しく低いこの国ではまだまだ無理なのでしょうか?
宮野由梨香「光瀬龍『百億の昼、千億の夜』の彼方へ」 荒巻義雄・巽孝之編『SF評論入門』所収〈小鳥遊書房〉
素晴らしい傑作を生み出した作家が人間的に全く素晴らしくないという例は古今東西で枚挙に暇が無い、モーツァルトやワーグナーやエゴン・シーレやピカソ、太宰治に竹久夢二に某ノーベル賞受賞作家も晩年には数々の醜聞を残した。
そこまで極端でなくても作家自身が作品のイメージと乖離していることはままあるしファンが勝手に抱いている主人公像との同一視が見当外れなのはむしろ当然だろう。
作品と作者の関係とは? 創作物は世に放たれた途端に創造主とは別個の存在になるのだし、優れた作品を楽しむだけで満足するファンは一方的で勝手な幻滅を味わわない。
けれど作品を分析してそれを作った者を理解するための答えを出すのに膨大な時間と思考力を使い続けるのが評論家なのだろう、自らが望む正解を虹の橋の彼方で見つけるまで決して諦めずに追い求め続けるのは修羅の道だと思うけれど、きっとそれは正しい。
長山靖生『SF少女マンガ全史――昭和黄金期を中心に』〈筑摩選書〉
昭和の後半期間という少女マンガの初期から黄金期の歩みをこの一冊でほぼ網羅しています。
24年組の出現、萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子、木原敏江、山岸涼子、山田ミネコ、倉田江美、清原なつの、水樹和佳、内田善美、坂田靖子、佐藤史生、花郁悠紀子、山本鈴美香・他の豪華絢爛たる作家陣、既に鬼籍に入られた方、絶筆された方や引退され方もいますが今現在も活動を続けていらっしゃる先生方にはそのエネルギーに敬服致します。
“少女フレンド、マーガレット、りぼん、少女コミック、なかよし、花とゆめ、LaLaとmimi”
毎月、毎週に続々と刊行される数多の雑誌、後に廃刊となってしまったものもありますが、あの頃はまさに少女マンガ誌の全盛期で追い切れない程の数多くの雑誌上で若き天才と呼ぶに相応しい二十歳そこそこの作家達が生み出す傑作が続々と発表されていました。
恋愛を主題にした作品が殆どでしたがその中に時折ですが時間や宇宙や未知の事象を主題に据えた作品が混ざっていて、それらを描いた作者の新作を必死で追いかけたので親からのお小遣いは殆どが本屋で費やいました。
そんな時代の歴史的資料としてとても貴重な一冊、もし出来るなら昭和以降の時代の歴史も書いていただきたいし少年マンガの歴史との比較等も面白いと思うので続編の刊行をお待ちしています。
坂崎かおる『嘘つき姫』〈河出書房新社〉
「ニューヨークの魔女」
19世紀末のニューヨークに一人の魔女と彼女を支えた女性が居た、魔女達の仕事はサーカスでの見世物で不死身の魔女の電気椅子処刑公開。
演じ続けた最後に死亡したと見せかけたフェイクは二人のどちらが考えたのだろう?
本物の魔女ならば今も彼女は何処かで存命な筈なので、いつか何処かの路上で偶然にすれ違った後にもしかしたらと振り替える自分の姿を夢想してみる。
「ファーサイド」
1962年キューバ危機の緊張状態のアメリカ合衆国の田舎町での日常生活。
核戦争での世界の滅亡のカウントダウンが朝のTVニュースのトップの日々の中に紛れ込んでいる異物、それがDの存在。
動物のような外見で半裸、知能はあまり高くなさそうだし粗野な言葉遣いと反抗的な態度を取るため町の住人達からは農奴として厳しく扱われている。
しかし主人公の少年が出遭った新参者の『D』は他のD達とは少し変わっていて、とても知的で高尚なユーモアを持ち何らかの目的があるらしいがそれを明かそうとはしない。
少年の家の使用人として働いていた『D』がある不幸な事件が起こった時にスケープゴードとして町の人々から私刑に処されてしまうとその翌日には他のD達も全て消え失せてしまった、まるで最初から何事も無かったかのように。
大人になった少年が町に戻って暮らし始めてからも人類はずっと滅亡の危機の目前にある。
Ⅾとは一体何者だったのか、エイリアン? 審判者? 救世主? それとも?
「リトル・アーカイブ」
スター・ウォーズが好きな人ならきっと気に入る作品、そういえばS・Wも元々は父と息子のこじれた関係の話でした。
そして息子の名誉のために闘う母の話でもあるので息子が戦死さえしていなければ離婚後にもお互いに愛し合う家族のお話になった筈なのが悲しいです。
「リモート」
人間の価値は内面って良く聞く言葉だけれど未だに世界中で外見上の相違での差別は無くならない、遠くない未来で医学が発達して肉体が無くなって頭脳だけで生存している人を自分が人間として認められるかは判らない。
ほぼ完璧なアンドロイドが出来たら他の機械との扱いはかなり違うようになるだろうし、もし死亡した人の記憶のアーカイブを故人そっくりに作ったアンドロイドに搭載したら?
器と中身の問題はこの先はどんどん複雑になって行く気がします。
「私のつまと、私のはは」
少子化の一途を辿る現代日本での子育ての問題は切実極まりますが女性にとってのキャリアの中断、金銭的余裕、ワンオペ、双方の親との関係等と予測される問題は山積みなので、作中のようにモラル的にOKで実験として新生児を育てる疑似体験が出来るなら試してみたいというカップルは少なくは無いと思います、それで自分達には無理だと諦めるかこれなら大丈夫とGOするかがどのくらいの割合になるのかは興味深いところです。
それにしても心の底からぞっとしたのは赤ん坊型シュミレーション機械の初期化の方法で、どれだけの悪意が設計者にあったのか、またそんな設計者が既婚者で子供を持ったこともあるというのは一体どんな結婚生活だったのかは知らない方が幸せという気がします。
「あーちゃんはかあいそうでかわいい」
可愛いと可哀そうは紙一重だから同情が愛情に変わるなんて本当に良くある話なのですがその実情がDVと愛着障害と虐待では洒落にならない結末になるのは火を見るよりも明らかですね。
「電信柱より」
「恋とは特定の対象に対して他とは違う強い愛着を持つ」という定義ならばその相手が同族の異性とは限らないし。生殖目的以外には困る要因はあまり無いですね、擬人化を大得意とする日本人ならばこの主人公ように非人間的存在を愛してしまう人は多分珍しくは無いと思います。
「嘘つき姫」
ナチスドイツによるユダヤ人迫害の歴史的資料は数多いので、この物語もてっきり自分を偽って生き延びた少女のお話だと思い込んでいたら、最後に二重の入子細工での虚偽の物語になっているのが判明してとても驚きました。
戦争によってほんの束の間だけ人生が交錯したけれど人種によって運命が分かれた二人の少女たちの人生ですが、最後の西側と東側に分かれた生き方の結末は心に響きます。
「日出子の爪」
フェティシズムの対象が爪の少年、咬爪病の少女、指に劣等感を抱く少女の間に生じた関係が淡い初恋なのかそれとも虐めだったのか?
少年の母の死による突然の転校はそれら全てを断ち切り、残されたのは二人の少女達だけ。




